血塗られた封印の城 第五章(7)


 その昔、この都市(まち)には一人の魔女の伝説があった。
 女は主に薬の調合に長け、当時流行っていた『吸血病』の治療にも貢献し、一時は『聖女』とまで崇められたと云われている。だが、それは錬金学者でもあった時の領主の研究を否定する結果となり、彼女は謂われもない罪を着せられて火炙りに処せられた。「魔王を崇拝し、民心を惑わせた魔女」として。
 それまで『聖女』として信望していた市民たちは、そのほとんどが掌を返すように『魔女』と罵り、あまつさえ石を投げつける者までいたという。
 そして現在、このグーテンリッヒ学園で信仰されている博愛の女神は、名を『アシェムード』という。


 祭壇の上、紅月の光が照らす彼女の貌は、血色の悪い青白い肌に爛々と煌めく紅蓮の瞳。そして、野犬の如き長き牙を生やした紅い唇は、避けるほど大きな笑みを浮かべていた。
「あの老いぼれをどうしたかですって?」
 魔女の口が答える。
「ぐっすり寝てもらっているわ。まあ、あまり吸った気がしなかったけどね」
「吸ったって……?」
 アイザックがわずかに反応する。
「理事長の血よ。アイザック、あなたと同じように首筋から咬み付いて……」
 周りの困惑を余所に、彼女は続ける。
「愚かな老人だったわ。裏で何が起こっているかも知らずに、まるで無邪気な子供みたいに祭典を楽しみにしているだなんてね」
 そこまで聞いて、アレスは俄かに笑みをこぼした。
「なるほど、どうやら貴方は本当に(、、、)エリクソン博士のことをあまり把握してはいないようですね」
「どういう意味かしら?」
「少し話は変わりますが……先日の『闇の牙(ナイト・クロー)事件』で襲われたのは、たしか博士と貴方の屋敷の使用人でしたね?」
「ええ」
「その夜は雨が降っていて、明け方に闇の牙(ナイト・クロー)焼死体が発見された(、、、、、、、、、)。目立って致命傷となり得る外傷もなかった。これではまるで『雨の降る最中に焼き殺された』みたいでしょう。さらに博士は、あの事件で唯一人生還している。気にはなりませんか?」
「何が?」
エリクソン博士は、かの魔道師フェレストの後継者とまで目された人物です。例えば、博士が『雨の中でも燃え続ける灼熱の炎』でも操れるほどの人物だとしたら?」
 しかし、シャルロは首を傾げる。
 あまりにも話に脈略がない。第一、それほどの魔道学者なら、あんなあっさり――
 何かに思い当たり、眉を跳ね上げるシャルロ。
 アレスは擬似射影灯(ホログラフ・モニター)を左手に持ち替え、右手をポケットの中に入れる。
「貴方が思っているほど、あの御仁は愚かではないですよ。むしろ、貴方より……」
 アレスの言葉が終わらない内に、『魔女』が祭壇の上から跳んだ。口を大きく開けて。しかし、同時にアレスの右手から礫が放たれ、
「!」
 左足の腿に命中し、脚を抑えるようにその場に着地するシャルロ。
「あまり相手を侮らない方が良いですよ」
 ここぞとばかりに、爽やかな笑みを浮かべるアレス。
「ま、マリーナ!」
「はい」とこれまで無言だった金髪の少女が、白いシーツを巻きつけただけの恰好で祭壇上から返事をする。
「時が来たわ、『魔女の晩餐』の始まりよ。あのガキを消し炭にしてしまいなさい!」
「はい」
 マリーナは右手をアレスの方へ向けてかざすと、小さく呪文を唱え始める。
 しかし――

 リーン

 何処からともなく、透き通った鈴の音色が響き渡る。
「あなたの相手は、わたくしが務めさせてもらいますわ」
 白い法衣に身を包み、闇の中から長い金髪の女が音もなく姿を現した。丸眼鏡の奥、鋭利な碧眼を光らせて。
「風水師の女……やはり隠れていたのね」
 女の方を向き、下唇を噛みしめるシャルロ。ゆっくりと起き上がると、再びアレスへと向き直る。
「天道師アレス・サンドーラに風水師ミコナ・ベルダルクか。この状況で二人も手強いのを相手にするのは、流石に厳しいわね」
「いいえ」とアレス。右手の人差し指を立て、
「手強いのなら、もう一人いますよ」
 シャルロは慌てて左右を見渡す。が、
「こっちだよ!」
 その少女の声は、頭上から高らかと響く。
「金貨540万の賞金首、奈落の魔女(ヘルアヴィス)のアシェムード改め、シャルロ・アムデウス・アイゼンバウワー。悪いけどキミのその首、このルーシア・レアノードがもらったよ!」
 見上げる先で、栗色の三つ編みにしたポニーテールが風に舞った。