ばうんてぃえぴそ~ど――流離の姉妹


「姉貴ぃ~、次の都市(まち)はまだ見えぬデスかぁ?」
 だらしなく声を上げる我が愚妹。目的の都市はまだ遠い。
「ああもう、気が散るから静かにするね!」
 ルクシーアを離れてから半月。取るものも取り敢えず出立しては見たものの、行く先々で物見遊山に明け暮れて路銀がかさむはかさむは、流石にウチらの財布も枯渇してきた。
「姉貴。あたいもう、つーかーりーたーデスよぅ」
「やかましい、このタワケ。ウチはもっと疲れてるね。大体、誰のせいで路頭に迷ってる思うか!」
「あたい、ルクシーア帰るデス!」
「あー帰れ帰れ、ただし自腹でね!」
 そこで急に妹が黙り込む。ウチの説教に腹を立てたか、恨めしそうにこちらを睨み据える。
 いや、筋は絶対ウチのが正しいハズだし、恨まれる謂れはないハズだが……。
「あのなシャオ……」と言いかけたウチの口を制するように、妹が重い口を開いた。
「姉貴のヒトデナシ、可愛い妹に『氏ね』と仰せデスか!」
 ぷっちーん。
 いま、ウチの中で何かリセイテキナモノが切れたか。うん、多分切れたね。ああ、ぶちギレたよ。
「ざけんなよ、このタワケぐぁぁぁぁぁぁ!」
 ウチの大地を震撼させるほどに粗ぶる怒声は、妹の戯けた言葉を紡ぐその口をあっさりと沈黙させた。
「キサマが『瓜の黒蜜漬けが食べたいデスぅ』だの『ふかふかベッドで寝たいデスよぅ』だの『美系執事のいる茶店に行きたいデスわぁ』だのと贅沢言わなければ、このような苦労などせずに済んだね!」
 怒りにまかせ、ヤツの首筋をガッチリ決めるウチ。羽交い絞めにされながらも、必死にもがく妹がぽつりつぶやく。
「ぐふっ………だって、あたい『美系執事萌え』デスもん……」
「まだ言うか、この口はぁーーーーー!」
 彼奴の頬をつねったり、唇を引っ張ってみたり、ウチは積日の怒りを憎っきこんちくしょうめの口へと注がせる。
「全くキサマという奴ぁ、フヌケにも程があるね!」
 言いながらも、流石に飽きてきたので妹を開放するウチ。
 羽交い絞め程度で勘弁してあげるウチって、なんて心の広い姉だろうか。
 誰か、いま全力で首を横に振った奴。多分気が向いたら、一生かけてキサマのお宅を探し回ってやるから覚悟するがよろし!
 それはさておき、そんなウチの寛大な処置に如何してかショックを覚えたらしく、
「そ、そんな!」と大仰に地面に膝を付き両手で頭を抱え込む妹。
「ふ、フヌケって……」
「情けない、たかがその程度のことで何を嘆くか!」
「だって、だって……」
 白くか細い身体を震わせながら、恐る恐る続ける妹。
「だって『腐』が抜けたら……ただの『女子』になってしまうデスよ!」
 そうデスか……。
「……ウチ、何か頭痛くなったね」
 ああ、今夜も野宿か。

 闇夜を朧気に照らす白き月は、妖を呼び寄せる魔性の三日月。
 東方最大の文明都市ルクシーアでは、白き三日月の夜は九尾の物の怪が目を覚ますというお伽話がある。その物の怪は、夜な夜な目を覚ましては艶やかな若い美少女の血肉を喰らい、その皮を剥いで被り、通りすがりの男衆を誑かす――と言われている。
 無論のこと、ウチは一度たりともそんなバケモノお目に掛ったことなどないから、やはりただの伝説なのだろうよ。もしこれが真実なれば、まず真っ先にウチが襲われるハズね。
 誰か、いま全力で首を横に……(以下略)。
 ざわざわ。
 いま、確かに何か物音がしたか。
 空気が冷たく張り詰めて、切り刻まれるような鋭利な視線が夜陰に紛れてそそがれる。ウチは寝布に包まりながら、右腿に差している短刀を密かに抜いた。五感を研ぎ澄まし、刃に彫られた文様の上を白い指先で滑らかになぞる。
 背後で足音が止まり、鳥肌の立つほどおぞましい気配を肌で感じ……刹那、風が舞った。
 地を蹴り跳躍したそれが、真っ逆さまにこちらに降りてくるところを見計らい、ウチは寝布をはいで真上へと突き出そうと右手の得物を握り――しかして、そいつはウチの頭上を越えるや、その隣――幸せそうに眠る妹の身体の上に降り立った。
 それは、大人二人分はあろう長身に青白い炎のような毛並みを持ち、充血したように朱く染まった細い両の眼には金色の瞳が妖しく光る。そいつは「にぃ」と薄気味悪い笑みを浮かべ、伝承の如く九本の獰猛な太い尻尾を蠢かせていた――
 九尾の焔蜥蜴(クーサラマンダー)
 それが、妹の白い柔肌の上に血の跡が残る鋭い牙を立てる。
「シャオ!」
 叫ぶが早いか、ウチは短刀を標的へと突き出した。だが、
「ぬるいわ、小娘!」
 地の底から響き渡るような低音でそれが声を上げると、蠢く一尾が宙を薙ぐ。
「ぐっ!」
 発した熱風が、ウチの小麦色に染まった肌を焼きつける。踏ん張ってはみたものの、ともすれば吹き飛ばされかねない強風を前に後退するウチ。
「トカゲ如きが、人語を介すか……」
「無粋な呼び方はお止しや、わらわには父様から賜った『ナインテールのノナたん』という立派な名前があるわいの」
 親の顔が見てみたいね。
「そんなことより、速やかに妹から離れることね。そしてウチの怒りの刃を受けるがよろし!」
「フッ……可愛い妹を襲われて、うぬが逆鱗に触れたか?」
 嘲笑いながら、一尾が唸りを上げて襲い来る。だが、
「フィオの命において薙ぎ払え、宝貝(パオペイ)――如意宝刀(ルイパオドゥー)
 右手の得物で空を斬る。すると、一尾が、いや二尾、三尾と巻き込んで短刀から閃く光刃に切り落とされる。静かに佇むウチの右手には、冷たい光を放つ白刃の長刀(、、)
「キサマは三つの過ちを犯しているね。一つ、ウチは妹を美人だとは思っても『可愛い』だのと思ったことなど微塵もないね。二つ、ウチの方がずっと美少女なのに妹の方を襲ったね。三つ、ウチの怒りは傷つけられた乙女の矜持(プライド)ね!」
 しかして、ノナたんとやらはその憤怒を鼻で嗤い飛ばし、
「笑止。姉妹が同じ処で寝やるなら、妹の方を襲うのが世の習いというものぞ!」
「んな歪んだ世の習いが、あってたまるか!」
 地を蹴り吠えるウチ。だが、突然背中に衝撃が走る。
「痛っ、何か?」
 慌てて背後を見るや、そこには白い種火のような毛並みの真新しい尻尾が三本勢いよくうねっていた。他のと合わせると、ちょうど九尾。
「愚かなるヒトザルよ、わらわが尻尾は再生可能なるを知らぬかや。これぞ『妹萌え』属性のなせる業よ!」
「ただのトカゲ風情が、何が『妹萌え』か。『姉』の魅力を思い知るがよろし!」
「トカゲ言うなや、『姉』如きが『妹』に勝てると思うなよし!」
 怒気をはらみて焔が蒼く爆ぜる。熱気が充満し、夜の道草を焦がし始め――
「ほぎゃあああああっ!」
 闇をも切り裂くような断末魔が、夜の草原に響き渡る。その腹には冷凍の呪布(、、、、、)が張られていた。蒼き焔が凍れる水晶へと変化していく。
はにゃ……身体が火照るデスぅ……」
 間の抜けた声が、一瞬にして戦場の空気をも凍結させた。
 起き上がりざま『九尾』の腹に呪布を張り付けた妹は、未だ寝ぼけている様子で重い瞼を半開きにしたまま首を縦に揺らしている。そして何事もなかったようにゆっくりと身体を後に倒すと、再びまどろみの中に沈んでいった。
 恐るべし、我が愚妹。
 後には、独り取り残されたまま立ち尽くすウチを、白き三日月が冷たく照らす。
 かくして、ウチはその月に宝刀をかざし、祈りをささげたのであった。

 願わくば、この広い大陸のどこかに『姉萌え』の都市があらんことを――。