血塗られた封印の城 第五章(8)


 蒼穹に静まる一室。ソファの上に横たわる翼竜(ワイバーン)の剥製。
 窓辺に立つ男は、その偉丈夫な身体を見まわしてから、右手で首筋を軽く撫でる。
「さて、私もそろそろ夜祭を見に行かねば」
 独りつぶやいて、初老の彼は朗らかに笑った。


「とう!」
 少女の身体が虚空に舞う。
 それは大の字で壁伝いに落下したかと思うと、不意に少女が身を逸らすように頭を上げて右足を前に倒し、渾身の力で壁を蹴る。落下時の抵抗を削ぐため、瞬時に足を閉じて身を屈めると、彼女は蹴りの勢いをそのままに前転し始める。
 クルクルと、それは金髪の少女の頭を跳び越えて、祭壇の上に華麗に着地した。
 重力にしたがうように前屈みになりながらも、両手を地に着ける少女の栗色の三つ編みポニーが跳ね上がる。
「……ルーシア……レアノード………?」
 頭上から舞い降りた少女を見つめ、ぽつりと漏らすマリーナ。
 学友に何処となく似ているその少女の視線の先には、『魔女』が一人脅えるように立ち尽くしていた。
「ルーシア・レアノード……そうか、あなたはあの転入生の!」
 その『魔女』シャルロは、少女を睨んだまま親指の爪を噛む。
「そういうことか。妙な時期に転入生が来たかと思ったら、立て続けに『学会』からの遣い。偶然にしては出来過ぎていたわ。翌々考えてみたら、その転入生も『学会』の紹介……」
 独りで納得したように、つぶやくシャルロ。
「けど、まさか『学会』と『ギルド』がグルだったとは、正直思ってもみなかったわ。名前を見た時に気づくべきだったわね。ルーシー・レイナード――あなたがあの百万狩り(ミリオンハンター)のルーシアだったとはね!」
 その二つ名を耳にすると、腰の剣に手を当てて立ち上がり、少女は不敵に笑った。
「ボクのことを知っている――てことは、やっぱり裏社会(こっちがわ)の人間だったんだね」
「ルーシーさん……なの?」
 背後でマリーナが、どこかうわ言のように問いかける。
 彼女に背を向けたまま、頭を振るルーシア。
「ごめん、ボクの名前はルーシア・レアノード。ルーシーじゃないよ……」
 その声はどこか重く、戸惑う彼女を突き放すように冷たかった。

 裏切りの言葉――
 心から解り合えると思っていた。
 たった数日間だったが、それでも彼女だけは、心を許せる相手だと信じていた。
 その想いを踏みにじられた!
 名前を偽り、親友の振りをして近づき、神聖なる儀式の邪魔をして!
 許せない。このあたくしの信頼を、誇りをけがした彼女を!

『魔女』を見据えながら静かに身構え、剣の柄に右手を掛けるルーシア。
「あなたよく見たら、白くて柔らかそうな肌してるわね。さぞかし血も美味しいでしょうね?」
『魔女』は悩ましげな眼で少女を見つめながら、舌を出して唇を舐めすする。
「ボク、そういうの趣味じゃないんだよねー。だから、サクッと倒させてもらうよ」
「大した自身ね。けど、どうかしら?」
 そう言って、冷笑を浮かべるシャルロ。
「ルーシア!」
 不意に、アレスが声をかける。刹那、
「背徳なる者に、天の裁きを!」
 背後で少女の呪詛が木魂して――振り上げた右手を下ろす瞬間、雷光がルーシアの頭上で閃いた。